May 15, 2017
永正2年(1505)以前の創業以来、伊丹から灘へと醸造の舞台を移しながら、500年以上にわたり剣菱は酒を造り続ける蔵。原点は、江戸時代末期に書かれた「守貞謾稿」(のちの「近世風俗史」)のなかで剣菱の商標とともに記された「古今第一トス」の文字。「昔も今もいちばん良い酒である」といわれた剣菱を「今」に受け継いでいることに、強い誇りと使命感を持つ。剣菱の味は、かつての造り手たちが守り続けてきたものではなく、かつての造り手とお客さまとで守り続けられてきたもの。500年間この味で得た評価で、引き続き剣菱の味を潔く守る。剣菱が造るうえで心がけているのは、先代(2代目社長)・白樫政一の訓えである「止まった時計のままでいる」。そのときどきの流行に合わせようとして時計のスピードをその都度速めてしまっては、24時間の間に一度として時計の針が正しい時間を指すことはないが、時代がどう移り変わろうと常に止まった時計のままでいれば、24時間の間に必ず2回は時計の針が正しい時間を指す。剣菱の味が変わらなければ、剣菱を飲むたびにその思い出を甦らせることができ、思い出のなかで剣菱の味が生き続けている限り、「止まった時計のままでいる」ことは剣菱の義務であるといえる。いにしえより不変の「古今第一トス」という文字、そして、墨くろぐろと縦、横ひと筆ずつの商標。剣菱の揺るぎない精神と原点は、多くを語るより、このことがすべてを物語る。剣菱は、不変の美を貫き、酒文化を未来へと継承し、昔も、今も、これからも、感謝の気持ちを込めて世に愛される酒を造り続ける蔵。
May 15, 2017
筑波山の麓に居を構えて十三代。6代前の慶応三年より恵まれた米と敷地内の湧水を利用して男女川の酒造り開始。小倉百人一首にも歌われた、女体山と男体山の間を流れる沢の名を拝したこの酒は、創業以来、筑波山神社の御神酒として親しまれて来る。現在は六代目蔵元杜氏稲葉伸子が平成12 年より江戸末期より続く蔵元を継承。全国では少ない女性杜氏。伝統による酒造りの技法と、独自に学んだ醸造学や食文化の知識を融合。豊潤で繊細な酒造りには定評がある。稲葉酒造の仕込水は、今も蔵の裏山から沸き出る、筑波山の天然水。蔵元を訪れる人の喉を潤すこの水は、口に含むとそのまますっと体に入ってくるようなやさしい口当たり。滋味に富んだまろやかさが、お酒の性格にもそのまま反映。酒造りは、造る酒全てが、常に高い品質を保つ為に、計算に基づき洗米から発酵、麹造り、搾りに至るまで、機械では醸すことのできない蔵人の手作業による技法を屈して行う。搾りは、手間を惜しまず最も時間をかけた最高な搾り方法、「袋吊り」で行なっています。酒の質の一番高いところを自然の重みだけで一滴一滴落とした「雫酒」は、香りと味わいが凝縮された最高峰のお酒。
May 15, 2017
嘉永嘉永2年(1849)初代島崎彦兵衛が創業。2代熊吉が現在の烏山に二百余年の歴史を持つ酒造庫を譲り受ける。また熊吉が無類の相撲好きであったことから酒名も「東力士」と名付けられる。那須岳より湧き出ずる清流那珂川の伏流水を仕込み水とし良質の原料米と共に恵まれた自然環境の中で良酒を醸すべく日々丹精込めた酒造りを行う。また貯蔵庫として洞窟を確保し新たなる日本酒の味わいづくりに挑戦し続け、1970年より大吟醸酒を中心とした長期熟成酒製造への取り組みを開始。長期にわたる貯蔵・熟成の経験と実績を持つ国内屈指の長期熟成酒造りの先駆者蔵元として現在も新たなる日本酒の味わいの創造に向け熟成酒を育て続ける。
年間平均10度前後、日光がまったく差し込まない漆黒の闇は“熟成酒”を造り出すにはこれ以上ない最高の環境であり、総延長600mの空間には現在も約10万本の“酒”が眠る。伝承の技によるお米の旨み、甘みを存分に表現した旨口酒造りにこだわり、地酒秘伝の甘口を守り、そしてより旨い酒を追求し続けている蔵。
May 15, 2017
山形県の南東、高畠町の有機米の産地、元和田で安永年間より酒を醸す酒蔵。蔵元には一貫して高品質を追及する信念があり、こだわりの麹室、最新鋭の精米機など備える。特に純米酒には早くから心血を注ぎ「純米の錦爛」とまで言われる旨さを完成させる。“より優しく、より丁寧に”をモットーに手造りで少量高品質を貫く蔵。
May 15, 2017
小西酒造は、1550年の創業時から「清酒発祥の地」といわれている伊丹で「味づくり 幸せづくり ひとすじに」という考えのもと酒造りに取り組む蔵。創業460年の歴史・伝統、その良さが現在に引き継がれているかどうか、先人の知恵に代表される普遍的な事柄を大切にしながら、常に次代を見据えて新しいことにチャレンジし続ける「不易流行の革新経営」の実践をめざす。